~『京丹後七姫の ご加護アロマⓇ』~
京丹後七姫の伝説がある京丹後市
京丹後市久美浜町は、龍伝説の里
一遍上人(いっぺんしょうにん)が鎌倉時代に干ばつで村人が飢饉の時、
久美浜に来られ祈願されたところ久美浜湾から龍が立ち昇り、
念願の降雨をもたらしたと、されています。
(国宝『一遍上人絵伝』に記載されています。)
*久美浜湾(龍が降り立った)
突き出した大明神岬(写真左上)はまさに龍神の姿
久美浜湾を見下ろす”かぶと山”(下の写真)の山頂には、
今に脈々とつながる丹波(今の但馬・丹後・丹波)の
偉大なる国王・丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)が
朝廷へと嫁いだヒバス姫達を喜び、
熊野神社を創建したとされています。
そして、京丹後七姫の一人「川上摩須の郎女(かわかみますのいらつめ)」は
丹波道主命の后なのです。
約40年前に「湯舟坂2号墳」という古墳の発掘作業時に
その中から、歴史的にも最も貴重な、”黄金の太刀”といわれる4匹の龍が描かれた、
環頭太刀(かんとうのたち)(*下の写真)が発掘されました。
2匹の龍はよくあるらしいのですが、4匹の龍は大変貴重で珍しい!
*久美浜町須田(湯舟坂2号墳)黄金の太刀の発掘場所
その当時の鮮烈な記憶が今になり、ふと思い出されました。
その川上摩須郎女は、授かった5人(1男4女)の子供たちのうち
なんと!娘4人ともが朝廷に嫁ぐという!
ファーストレディを立派に育てあげながら、
国王を陰で支えた続けた
まさにカリスマの川上摩須郎女。
私は、その川上摩須郎女は、国王の妻ではなくて名前でちゃんと読んでほしいのだ。
世に出たいのだと、インスピレーションを感じました。
朝廷に嫁いだその中の一人、ヒバス姫はヤマトタケルノミコトの祖母です。
丹後王国が日本の始まりであった説を象徴しているかのような話です。
++
また、アロマにも出会い学んでいた私は、
ふと大好きな地元の七姫を
インスパイアしたアロマが世に出せたらな。
と、浮かんできたのです。
姫達が世に出たいと私に言っているのだと感じました。
それは、言葉でいうと、降りてきた感覚で、
目の前にイメージがしっかりと描かれたのです。
私の中で、これは形にできるとおもった瞬間でした。
歴史の中に住んでいる”七姫の想い”や”龍伝説”が、
令和になり、風の時代に突入、
まことしやかに私の中に流れて来るのを感じました。
そして、七姫たちの想いを形にしていくことは、
過去世から決めてきていたことだと気づきました。
気づいたとたんに、いろいろな手放しがやってきました。
次々と素晴らしい人たちに引き寄せられるように出会い、
多くの気づきを与えられました。
未来を思い描くこと。
そして、行動すること。
その中で頭の中にあるイメージが形になり、
”京丹後七姫の ご加護アロマⓇ”は誕生しました。
誰もが皆、お姫様
姫のご加護と共に
感謝💛
京七叶 のり子